退職した話。
1年ほど放置していた。久々に書きます。
2週間前に退職しました。正確には有給消化期間なのでまだ在職中ではありますが。
理由は東京にいきたい、住処を変えたい、将来の給料が不安など複合。
職場はほぼフルリモートで残業もなく人間関係も気負うことがなく(そもそも喋ることも少ない)、環境としては最高だったので結構悩みはした。
そうは言ってもやはり根本的に労働は無理だしいざやめて50日以上の休みが手に入ると「退職最高!一番好きな職です!」とならざるを得ない、オススメです。
社会人になってから一切変わらない人間関係を増やすかと読書会ディスコードに参加してみたり次の職場で使う資格を取ったり転居に伴う諸手続きをやっている。人生には手続きが多すぎる。
他にも休みの期間にいっぱい本を読んだり映画を観たりするぞーと意気込んでいるものの大学生活での怠惰な6年間を身体が一瞬で思い出したらしく、惰眠をむさぼってしまう。
感想をブログにまとめて書くのは去年挫折しているのでとりあえずこの2週間で読んだり観たものを並べる。
【小説】
・同志少女よ、敵を撃て
・美しき町
【漫画】
・さよなら絵梨
・戦争は女の顔をしていない
・峠鬼
・雨でも晴れでも
・タコピーの原罪
・君の戦争、僕の蛇
・わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった⁉)
・おもいでエマノン
・ぱちん娘。
・旅
【映画】
・怒り
【ドラマ】
・MIU404
【アニメ】
【ゲーム】
・原神
こうやって並べると漫画はそこそこ読んでる気がする。ほとんど新刊を読んでるだけだが。
社会復帰までの期間に何かやった証を残したいので気力があれば感想を、少なくとも読んだものの記録は残そうかと思います。
『映画大好きポンポさん』の話。
毎週観たり読んだりしたものの感想を書くぞと意気込んでいたわけですが1度途切れたらそのまま2か月もサボってしまいました。
今回は先週公開された劇場アニメ『映画大好きポンポさん』を観て久しぶりにブログに感想を残したいと思ったので書きます。
原作の『映画大好きポンポさん』『映画大好きポンポさん2』のネタバレがあるので原作を読んでいない人はご注意を。
- 『映画大好きポンポさん』が大好き
- カットへのこだわり
- ジーンの瞳は輝いていたか
- 切り捨てたものに目を向けろ
- 最悪のアリア
- 誰のための映画? 原作から切り落とされたものに目を向ける
- 狂気賛歌
- 『映画大好きポンポさん』を観よう、読もう
『映画大好きポンポさん』が大好き
もともと『映画大好きポンポさん』をはじめとする原作のニャリウッドスタジオシリーズが大好きで、初めて『ポンポさん』を読んだ時から、『ポンポさん2』、『フランちゃん』、『カーナちゃん』、オムニバス、『ポンポさん3』と読むたびに大絶叫して楽しんでいた。
劇場版についても、『ポンポさん』の単行本が出たときにアニメ化企画を知ってからずっとワクワクしていたし、コロナで延期になってようやく公開だったのでかなり期待が高まっていました。高まりすぎてちょっとでも気に入らない箇所があったらすごいガッカリするのではないかと怖くなるほどには。
結果、期待を大きく上回るものを観ることになって大満足。
カットへのこだわり
「編集」が物語上大きな意味を持つだけあってこの作品におけるカットの見せ方が多種多様で映像としていて観ていて楽しい。時間経過を表すのにタイムラプスの早回しやコマ送り、バスが過ぎ去り自動ドアが開いたり、などなど挙げればキリがない。
カットの切り替わりの表現で特に好きなのは、ジーンがポンポさんの脚本を読むシーン。本のように画面が二分割されて片方にはコーヒーの入ったマグカップ、もう一方には空になったマグカップ、そのページがめくられると次にはそれぞれ時間のことなるスマホの待ち受け画面、とひとつのシーンの時間経過を表すのに多様な表現が使われていて脚本を読むだけのシーンを飽きさせずに魅せてくれる。
時間経過以外にもジーンがバスの中で外を走るナタリーを見かける時の表現が好き。ナタリーが目に入るとジーンの瞳にズームインし、瞳がカメラのレンズとなり、走る姿の水しぶきが飛ぶ様を切り取る。このシーンは映像として単純に綺麗だし、まだ雑用スタッフであるジーンの監督としての才能が仄めかされる役割も担っていて一粒で二度おいしい。
後は原作を読んでいたら当然気になるリリーが振り向くシーン。原作ではシリーズ通しておなじみとなっているクライマックスでのカラー表現。漫画だからこそできた技であり、常にフルカラーなアニメでどうやって表現するのかと思っていたらまさか直前の一瞬色をなくすことで画面の壮麗さを際立たせるとは。歌声も相まってとても映えるシーンとなった。ただ、余韻があまりなく次のシーンに映ってしまったので、この作品の一番のキメどころにしては少し物足りなくも感じてしまった。ただしこのモヤモヤは後述(「誰のための映画?」の章)で解消される。
ジーンの瞳は輝いていたか
スイスでの撮影後、ジーンは同級生だったアラン(オリジナルキャラクター)に声をかけられる。監督という夢を実現しているジーンを見たアランは昔言った「下ばっか向いてないで前を見ろよ」という言葉を訂正し、こう続ける。「お前はずっと前だけを見ていたんだな」「今のお前の目、輝いてるよ」(正確かどうかは記憶があやふや)
このセリフは前にあった「ジーン君が一番ダントツで目に光がなかったからよ」というポンポさんのセリフに反するように思える。果たしてジーンの目は輝いていたのか、いなかったのか。
そもそもジーンは前を見ていたのか、ジーンは現実世界から逃げ続けて映画の世界に浸ってきた男だ。そんな男が前を見ていたといえるのか。むしろジーンは下ばかり見続けていた。ポンポさん曰く「現実から逃げた人間は自分の中に自分だけの世界を作る」「社会と精神世界の広さと深さこそがその人のクリエイターとしての潜在能力の大きさ」と。ジーンは自分の世界に向かって深く深く潜り続けた。ずっと下を向いてそのまま潜るように進み続けるのならば、それは当人にとって前を向いて真っすぐ進んでいるのと同じことなのではないか。
また、劇中クライマックスで流れる挿入歌『例えば』の歌詞にはこう書かれている。
例えばその光があれば
揺れる瞳も 爪の色も あの人の手の温もりも
全部を捨ててもいい
どうでも良いんだよ
この「光」とはジーンにとっては映画だ。ジーンは深く潜った自身の精神世界において映画という光を手に入れた。そしてその代わり現実世界の全部(会話・友情・家族・生活)を捨てた。
つまり、ジーンは下を向きながらも前を向いており、その目は現実世界での光はなく、自分だけの精神世界では光り輝いていたのだ。
切り捨てたものに目を向けろ
ジーンと劇中劇『MEISTER』における主人公・ダルベールの両者は重なるように描かれている。
ダルベールは音楽だけのために全てを切り捨ててきた男だ。正しく楽譜通りに演奏すること、それ以外はいらない。そんな妄執に憑りつかれた男だった。だがスイスの大自然で出会った少女・リリーと過ごすうちに本当に大切なものは感情・記憶だったと思い出す。
そうした気づきの果てに得たダルベールの演奏は、聴くもの全てに自身が忘れ去った/切り捨てた感情・記憶を呼び覚ますものとなった。
ジーンにとっての映画もダルベールにとっての音楽と同様に、それを取ったら彼には何も残らないものだ。初めて編集を任されたとき、「売上とかスタッフの生活とかどうでもいい」とも言ってのけた。
しかし、監督として撮影の経験を経た結果、関わってきた人間たちや観客の期待を背負うことの重さに気付く。
それを承知したうえで彼は編集を行う。ナタリーの女優としての初めてのカットを、マーティンとの初共演のカットを、ジーン自身も切るのに躊躇ってしまうようなカットを、切り落としていく。そうした覚悟をもって切り落としていくことに意味がある。
これは、ジーンが初めて編集を行った際に説明された「フィルムの外で内容を補完する」「視聴者に次のシーンを想像させる」という編集技術の集大成である。
洗練された技術を目にしたときその過程を想像するように、抽象化された歌詞に自身の体験を重ねて共感するように、ダルベール/ジーンのアリアを聴いた者は原初の感情・記憶を取り戻す。(観客一人一人に個別の感情を救い上げる演奏、『SOUL CATCHER(S)』の神峰翔太じゃん!ってなって伊調鋭一のように感動してた)
最悪のアリア
人生は選択の連続だ。何かを選んだらそれ以外のものは切り捨てなければならない。
ダルベールが音楽のために、ジーンが映画のためにそれ以外を切り捨てた。
ダルベールの妻も同様に何かを選び何かを切り捨てた。
彼女はダルベールに「家族」か「音楽」かの2択を迫り、答えられないことで「音楽」がダルベールにとっての答えだと突きつけた。これは彼女がダルベールとの離婚を選んだとも言える。
彼女の「あの日弾いてくれたアリア、あれだけは最悪だった」というシーンでは、ピアノに向かって(家族に背を向けて)弾くダルベールが映され、吐き捨てるように放った言葉だった。
彼女が離婚のために「音楽に身を捧げて家族を顧みないアリア」を選び、それ以外のもう一つの「最悪なアリア」を切り捨てたのだ。
しかし、気付きを得たダルベールの演奏によって、彼女は切り捨て忘れ去ったもう一つのアリアを取り戻す。
「最悪なアリア」という同じ言葉をつぶやく彼女だが、その口調は穏やかで、そこで思い出すのは、ソファに座り(家族に向かい合って)おもちゃのピアノを不器用に弾くダルベールの姿だった。
ポンポさんは「純粋に映画に感動したことがない」と言っていたが、彼女は映画に感動したことがなかったのではなく、天才プロデューサー・ポンポさんになる過程で「映画に感動すること」を失っていたのだ。
それを、ジーンの『MEISTER』を観ることで、幼いころ祖父と映画を観て感動した経験を思い出したのだ。
そうして放つ「君の映画、大好きだぞ」の破壊力がヤバい。これは『ポンポさん2』で使われるはずだったセリフを切り捨てて選択したことで得られる威力。
誰のための映画? 原作から切り落とされたものに目を向ける
劇中でも劇中劇でもさんざん切り捨てたものに目を向けるということをやってきたのだから、この作品でも切り落とされたものに目を向けるべきではないか?
ということで原作から映画化にあたってカットされたシーンに目を向けよう。
にゃーにゃー鳴くミスティアさん、他人のテリトリーでご飯食べるの嫌いなミスティアさん、毎日栄養ゼリーとかサプリで済ませるミスティアさん、自分で自分の映画をプロデュースする野心家なミスティアさん、次に撮るB級映画について盛り上がるポンポさんとコルベット監督の間にいるミスティアさんがニッコリ笑うシーン……
ミスティアさんばかりだ。ミスティアさんの出番については、『MEISTER』の追加カットでの出演(映画オリジナルの展開)で、いつかジーンとナタリーと映画を作る予感がある、そしてその時は自分が主役だ、と告げるシーンで『ポンポさん2』に繋がる橋渡しでもあり、野心家であることも伺えるいいシーンがあってよかった。(「作る」と言っていることや電話先のポンポさんの後ろでフランちゃんが働いていたり、2の要素がバッチリ入っているのも良い)
ミスティアさんの描写についてはいいとして・・・
この作品では原作からとあるシーンがカットされ、そこを機にオリジナル展開が大量に入ってくるのだ。
そのシーンとは、原作最終3ページ、クランクアップ後、『MEISTER』の編集作業に取り掛かったジーンがコルベット監督の言葉を思い出すシーンだ。
「その映画を一番見てもらいたい誰かのために作ればいいんだ」
原作では、ジーンはこの言葉を思い出し、時間が一気に飛んで『MEISTER』を90分の映画に仕立てあげたことが分かるセリフでこの作品のラストを締めくくられる。
一方、映画でコルベット監督のセリフが使われたシーンがどうだったかというと、このセリフを放つ間、コルベットの横に映るポンポさんに段々とピントが合わされていくような描写になっている。
これをそのまま受け取るならポンポさんにフォーカスを絞って映画を撮る、という意味のシーンになる。原作の『MEISTER』はたしかにポンポさんのために作られた映画だ。編集時にジーンがポンポさんにフォーカスを絞っただけではない。脚本の追加も行われない。つまり、作品(劇中・劇中劇ともに)のクライマックスがリリーが振り向くシーンであり、これは「このシーンを撮るためにここまでやってきた」ポンポさんによるシーンだ。以上を踏まえると『MEISTER』はポンポさんの映画と言っていいだろう。
しかし、コルベット監督のセリフのシーンを詳しく見てみると、ピントはポンポさんに合っているが、ポンポさんはこのシーンの画面の右端に映っており、中心にはいないのだ。さらに言うと、映画では後の展開でジーンはこの言葉を思い出すことはない。
ポンポさんが中心にいない、「誰かのため~」というコルベット監督の言葉を思い出さない、それではこの映画は誰のために作られるのか?
映画でのジーンは、コルベット監督の言葉を思い出さずに編集を続け、泥沼に嵌っていく。(ここの無数に重なる「やあダルベール」「私は誰だ」のカットや壁に増えていく付箋の描写すき)
その代わり、別の人物が別の言葉でジーンに気付きを与える。ポンポさんの祖父・ペーターゼンはジーンに問いかける。「その映画に君はいるかね?」
この言葉をきっかけにジーンは自分のために、あの日の自分のために、映画に己を重ねる自分たちのような観客たちのために映画を作るのだと決意する。(ジーンとフィルムの中のダルベールやアランやジーン自身と重なっていく描写や、ジーンしかいない映画館にアランや多くの観客が集う描写が熱くて最高。水上悟志作品と同じ系統の熱さを感じる。)
映画でのポンポさんは「純粋に映画で感動したことがない」と言った。そして原作でポンポさんが自分自身が映画が大好きだと気付くのは『映画大好きポンポさん2』であり、『映画大好きポンポさん』時点ではその様子はない。それもそのはずで、『MEISTER』はポンポさんのポンポさんによるポンポさんのための映画だったのだから。
だが、映画の『MEISTER』はポンポさんの手から離れ、ジーン(複数形)の映画へと生まれ変わった。だから映画の『MEISTER』でポンポさんは「君の映画、大好きだぞ」と感動することができたのだ。
狂気賛歌
原作から思っていたのだが、このシリーズは労働とか人権とかの目で見ると健全ではない。制作も決まってない段階でアパートの退去やバイトの退職を強制したり、人の破産を構ったりしないし、納期守らんし……
映画のオリジナル展開でもアラン君の会議配信とかコンプラ違反だろうし、ジーンの病院抜け出して編集するムーブなど、今の世の中では褒められたものではない。
だが、それでも突き進む狂気がこの作品にはある。
アランが行った捨て身のプレゼンは見る者の心を打ち、会社を動かした。(頭取の判断がご都合主義に見えるが、よくよく考えると配信されて盛り上がった以上認めなかったら大幅な会社のイメージダウンにつながるので融資を認めるしか道がなさそう)
ダルベールは自分が切り捨てたものが大切であったことを認識した上でなお、妻にも非難された演奏(何も振り返らずただそれのみに打ち込み続けるドス黒い演奏)を突き詰め、孤独と引き換えに聴くもの全てに大切な感情を呼び覚ます演奏を手に入れる。
ジーンもダルベールと同じドス黒いオーラを纏い、全てを切り捨て映画を作った結果、いつも途中で劇場を去る女の子が夢中になるような映画を作り上げる。
劇中でもオマージュがある『タクシードライバー』はジーンの好きな映画、『セッション』はポンポさんの好きな映画として挙げられている作品だ。これらの作品も狂気の果てに一人の女の子が救われたり、素晴らしい演奏が生まれる、といった内容の作品である。
アランのような人間が社会で働く者の、ジーンやダルベールのような人間が創作活動のスタンダードであっていいとは思わない。そうであれと言ってくる人間は非難されるべきだとも思う。けれどそうした狂気の果てに生み出されるものは素晴らしいものであってほしいという祈りや期待がある。
『映画大好きポンポさん』を観よう、読もう
ここまであらすじなんだか感想なんだか考察なんだかポエムなんだかよくわからないことを書いてきたが、要するに私は『映画大好きポンポさん』が大好きだ。
この映画や原作漫画を観た人の感想を知りたいし、『ポンポさん2』『フランちゃん』『カーナちゃん』『ポンポさん3』の話もしたいし聞きたい。だからみんなに買って読んでほしい。
当然劇場アニメ『映画大好きポンポさん』の続編だって観たい。だからみんなに映画館に行ってほしい。
ニャリウッドスタジオシリーズにハマり、登場人物たちの好きな映画を観て個性豊かなキャラクター達の解像度を上げていこう。
現在、『ポンポさん』~『カーナちゃん』までの電子書籍が半額になっているので、買おう。
今週観た/読んだものの話。-12
最近はモンハンをしてて更新をさぼってました。本とかも読んでないです。
やることが護石ガチャぐらいになってきたので次回からは更新復帰していきたい。
最近観た/読んだもの
〇ライブ
・虹ヶ咲 シャッフルフェスティバル
〇映画
〇漫画
・ニセモノの錬金術師
・VRおじさんの初恋
虹ヶ咲 シャッフルフェスティバル
1日目は配信、2日目は現地で観ました。去年のCYaRon!以来の久々の現地で最高でした。
エマ-夢への一歩、彼方-evergreen、歩夢-あなたの理想のヒロインが特に好き。
あなたの理想のヒロインのサビで振り向く時に目を伏せる表情が最強すぎた。狂う。
コンスタンティン
コワすぎ!とかさだかやとかカルト(全部白石作品)が好きなので能力者が霊的存在と戦う作品が好き。十字架型の銃とかはトライガンのウルフウッドみたいでカッコいい。
天使がラフな衣装で悪魔は白スーツな対比も倒錯的で良い。色々と厨二心をくすぐられる作品だった。
ニセモノの錬金術師
個人で連載している異世界転生ものの漫画。最近1部(全300話)が完結した。
よくあるチートスキルが強奪可能だったりチートスキルを与えた上位存在との戦闘があったりと読ませる力が強い。魔法と錬金術の世界の捉え方の違い、錬金術師における個人が持つ宇宙の概念など設定の作り込みも丁寧。
個人の持つ宇宙について能力も個人の性格に依存するのが好き。主人公の持つ宇宙が判明するシーンがポケスペのゴールドの才能発覚のシーンみたい。
最終版の展開が最高。過程で得られる繋がりこそが最も大切なものだったのだ。師匠の得た真理に繋がってくるのが良い。
VRおじさんの初恋
美しいものをみた。ロスジェネ世代で正しい人間になれなかった中年男性と恵まれた人生を歩んできたが余命宣告を受けて正しくない人を演じる壮年男性がVRで出会い、心を通わせていく。現実とVR、それぞれにある階層の違い、その階層が違えば交わることはない。それでも、現実で生きる階層が違ってもVR世界で交わることによって縁は結ばれるし、意思があれば現実で出会うことができる。現実とVRが切り替われば触れ合う身体も心も変わってくるけれど、けれどもどちらも確かに自分たちである。そういった二つの世界の違いと同一性のバランスが絶妙。
1部後半の「せめて私とナオキが過ごした日々がナオキのこれからの人生の糧になればと願っています」というホナミの言葉が2部後半の周りの人間と楽しそうに過ごすナオキの行動に繋がっているのかと思うと……
この寂しい美しさを共有できるあなたがいてよかった……
今週観た/読んだものの話。-11
明日は虹ちゃんライブ現地に行くので1日早く更新します。
今週観た/読んだもの
〇ドラマ
・クイーンズ・ギャンビット
〇映画
〇小説
・私の美しい庭
クイーンズ・ギャンビット
NetFlixオリジナルの海外ドラマ。
母を失い孤児院に預けられた少女がチェスを学び才能を開花していく話。
主人公がチェスにのめり込んでいくと同時に安定剤への依存も加速していくのが勢いがあって良い。
話が進んで成長した彼女より若いロシア人の少年との試合が好き。前半は苦戦するも休憩を挟んでからは経験と才能で圧倒するのが気持ちいい。
最終話のロシアのグランドマスター戦では今まで自分が戦ってきた(そして圧倒的な才能差で主人公についていけなくなってしまった)ライバルたちが主人公のために盤面の検討を伝えてくれるシーンがジャンプっぽくて熱い。
スイス・アーミー・マン
ダニエル・ラドクリフ(ハリーポッター役の人)が無限に屁をこき浄水を口から吐き出す死体役として登場する話。
ジャケットの画面は死体の屁を推進力に海を渡るシーン。なんの幻覚?
後半は主人公たち以外の人間の目に触れることで二人の過ごした美しい場所がゴミくずだということが暴かれていき……
メニー(死体)については暴かれることなく波に攫われて行って本当に良かった。彼に対して他人の目というメスが入れられてしまったらなにもかもが崩れ去ってしまうので。
追い詰められた主人公が屁をこくシーンで泣く。お前が屁をこいて変な奴だと笑われるのが怖いなら俺が先に屁をこいてやる、だから安心して屁をこいてくれ。
屁に笑い屁に泣く作品。
わたしの美しい庭
「縁切りマンション」と呼ばれる縁切りの神社が屋上にあるマンションを舞台に人々が縁を切り、縁を結んでいく話。
通常版の表紙も冬限定カバーの表紙も綺麗で手に取るだけでテンションが上がる。
凪良ゆうの描く利発な少女とそれを取り巻く環境が好き。小学生でも相手を対等に見て小難しい言葉を使うことになっても真摯に会話をするクソ真面目な大人がいること、そんな大人が子供のシンプルな言葉・考え方に救われていること、二つのバランスが心地良い。
今週観た/読んだものの話。-10
来週は虹ちゃんの校内シャッフルフェスティバル(https://www.lovelive-anime.jp/nijigasaki/sp_splive.php)があるので今までのライブ映像を観返していました。
セトリも楽しみだし何より2日目は現地に行けるのがとてもうれしい。1年ぶりの現地ライブだ。
今週観た/読んだもの
〇漫画
・まちカドまぞく
・シネマこんぷれっくす!
〇小説
・屍人荘の殺人
〇映画
・シン・エヴァンゲリオン
まちカドまぞく
最新6巻を読むために1巻から読み返した。
ずっとシャミ桃がイチャイチャしてて久しぶりに王道の百合を摂取したなという気分に。ずっとイチャイチャはしているけれど毎巻二人を取り巻く状況が変わってそれに応じて二人の関係性が変わっていくのが良い。特に闇落ち勧誘後の巻で桃が黒いセーターを羽織っていたのが萌える。闇落ち準備できてるんだよな。
6巻は冒頭からシャミ桃高級焼肉デートから始まって狂うかと思った。ガチのやつよ。
シャミ子の桃への執着が主に身体に向いてるのがな。夢魔なので。
シネマこんぷれっくす!
完結巻を買い忘れていたので。
映画紹介系の漫画は多いのに漫画紹介系の漫画はあまりないのは権利関係とかがあるからなのだろうか。
1話あたりの映画情報量と脚注が多すぎて狂気めいたものを感じる。自覚があるのか作中の映研メンバーは全員頭おかしいと周りから認識されている。ツッコミ役であるはずの主人公も狂っている(毒されている)と映研以外のキャラクターが増えていくにつれ分かっていくのが小説の叙述トリックみたいで好き。
屍人荘の殺人
特殊設定ミステリ。大学のミステリ愛好会の二人がいわくつきの映研の合宿に参加することになり、奇妙な事件に巻き込まれていくといった内容。
主人公であり助手役の葉村が探偵役である明智との日々に充足感を得ていたことにグッとくる。ミステリ研究会(正規のサークル)と馬が合わずにいたところで出会った変人だけど趣味の合う先輩とカフェで作品談義したりしょうもない事件に首突っ込んで謎解きする日々、黄金なんだよな。最初は明智のブレーキ役としか表現されていなかったけれど、ブレーキがあるということはつまり葉村にとって明智はアクセルだったということが……
これ読んだ翌日にシネマこんぷれっくす!を読んだのでサブカルサークルに対する憧憬と郷愁がいっぺんにやってきて感情がえらいことになった。
肝心の推理部分はミステリ初心者でもどこが伏線なのかわかりやすく提示されていてなおかつそれをどう使うかは作中で明かされてハッとなる出来で読み応えがあった。
シリーズもので続刊も出ているそうなので読みたい。
シン・エヴァンゲリオン劇場版(ネタバレ感想は「続きを読む」から)
先週エヴァンゲリオンと初めましてしたばかりだけれど、全てのエヴァンゲリオンとおさらばすることに。
続きを読む今週観た/読んだものの話。-9
ウマ娘がやめられない。何回やっても最後の競り合いで手に汗握る。
今週はノンシュガーの単独ライブを配信で観ました。新衣装かわいい。リザーブ・ザ・リバースがすき。
今週観た/読んだもの
〇エヴァ
・TVアニメシリーズ
・旧劇場版
・新劇場版
〇小説
心淋し川
エヴァ
明日(3/8)に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開ということで急いでTVシリーズから新劇場Qまで一気に観ました。
エヴァに関しては昔貞元版を途中まで読んでた程度で初見。
今まで自分が観てきた作品が少なからず影響を受けているんだろうなと思えるシーンが所々に見られて存在の大きさを実感した。
旧劇場版のラストとQのラストの砂漠のような風景が似ているように感じた。
他者がいて初めて自己が存在しうる。誰かと触れ合いたい。だから外の世界に出て傷つけ合うことになっても他者と生きていく選択を旧劇場版では描いていたが、Qではそれが自身の望んで起こした選択ではない点で異なる。だからシンジは再び自身の殻に閉じこもった。ただし、カセットテープを流して外界を遮断するのは破の時点でやめており、Qではカセットを地面に放り出して蹲る姿勢をだしていた。このため、自身の殻に閉じこもるというよりは、現実に晒されながらも動かないでいるという表現の方が近いかも。
旧劇場版はアスカの「気持ち悪い」というセリフで終わっていて外の世界で生きていくうえで傷つけ合うことの側面が強くてそれはあまりにも・・・となってしまった(TVシリーズ最終話で親からの愛を受け取れなかったすべての子供たちに「ここにいていい」と祝福を与えたうえでの旧劇場版だったのでなおさら)。
ので、シンではそういった世界で生きる上で何を拠り所にしていくかとかも描かれると希望があって嬉しいなと思った。
心淋し川
芥川賞の「推し、燃ゆ」を読んだので同年の直木賞のこの作品も読んだ。
江戸の外れにあるさびれた町を舞台に、様々な人生が描かれる時代小説。
6つの短篇からなる連作で、共通して田舎特有の澱んだどん詰まりの空気はあれど、それぞれ読み味が異なっていて読んでいて飽きない。物好きの男の妾が、主人が持っていた男性器を模した性具を拾いそれに仏を掘ったところ、それが思いの外ウケる「閨仏」は特にユニーク。
一番好きなのは「はじめましょ」。病に伏した兄貴分に代わって飯屋を始めた男が、昔捨てた女と同じ歌を歌う少女と出会う話。
「コタキ兄弟と四苦八苦」でもそうだったが、血縁ではなくそれまでに培った日々を拠り所に絆とする話に弱い。
今週観た/読んだものの話。-8
今週はウマ娘のアプリをずっとやってた。おうまさんが走ると熱くなるし勝ったら歌って踊ってくれるのでうれしい。
今週観た/読んだもの
〇ドラマ
・徳山大五郎を誰が殺したか
〇映画
・Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる-
〇アニメ
・ウマ娘 プリティーダービー Season2
〇小説
徳山大五郎を誰が殺したか
欅坂46総出演の学園ミステリ。
毎話かわるがわる登場する大人たちが異常で笑う。大量の汗をまき散らしながら台車や備品の気持ちになって説教してくる用務員、パクチーとマカロンを交互に食わせてくる担任の妻、etc...
紆余曲折遭って死体を必死で隠し、学校の闇を暴き、真相を追求していくことで変わっていく関係性、死体があったから、みんな自分の殻を破れた、死体があったから楽しかった……死体は青春。そうか?
顔の良いアイドルが罵り合ったり告白したり刀傷沙汰になったりすると画面が映えて気持ちがいい。
Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる-
今年のGWあたりにシナリオが無料公開されて一気に読んでドはまりしたソシャゲの劇場アニメ。4Uと七花少女のエピソードが好きです。
アニメは冒頭のStar Gritterで泣かせに来てる、思い出で殴るという強烈な意思を感じた。
エピソード4.0以降主人公たちを阻むものとして描かれてきた「大人」「現実」が劇場版でも立ちはだかった。が、昔推しが引退して捨てられたと感じた結果アイドルを憎むようになった元オタクが今作の敵であり、本家と比べてずいぶんスケールダウンしてしまっているのが惜しい。妨害方法もライブ会場の前の道路を工事して人の往来を減らすというコスい手を使ってくるし……引っ越しバイト募集のティッシュを渡して「君らにはこれがお似合いだ(意訳)」と高笑いして去っていく姿は典型的な悪役すぎてもはや造形美を感じる。
素直にエピソード4.0、0.7、5.0あたりを映像化してくれた方がよかったのでは、という気持ちがある。
ウマ娘 プリティーダービー Season2
2話も最高だったが最新7-8話が本当によかったしつらい。
努力して手に入れたはずのライスシャワーの勝利が、誰もが期待する偉業を阻んだとして誰にも祝福されず、彼女が悪役と呼ばれるのはつらい。それでもあなたをヒーローと思う人はいると戦った相手であるミホノブルボンから叱咤激励を受け、もう一度走る決意をした7話。
そんないい話をやった後に8話でライスシャワーがドス黒いオーラをもった存在として描かれること、レコード更新という自身の偉業がメジロマックイーンの連覇を阻んだとして祝福されないことがつらい。その後の「またたくさんの夢を壊してしまいました」「ブーイングって痛いですね。やっぱり、痛かったです」と言うセリフが本当につらい。どうして心根の優しい娘がこんな仕打ちを……
それに対してミホノブルボンが「それが勝つということ」「ブーイングはチャレンジャーの勲章」「でもいつか、これが歓喜の声と祝福の日は必ず来ます」「だってあなたの名前はライスシャワーなんですから」とひとつひとつ返していくことの優しさが沁みる。
この後のライスシャワーの不調と勝利の話がアプリ版のメインストーリー2章でやっていてとても良い。アニメでも描かれたらいいな。
medium 霊媒探偵城塚翡翠
霊媒体質の少女が犯人を見つけ、小説家の男が論理を導く、普通の推理とは順序が逆転したバディもののミステリ。
キャラクター要素の強い特殊能力ミステリとして読みやすい。特に主人公(ヒロイン)である城塚翡翠の描写がフェティシズムを感じるほど細かく、魅力的に映るよう描かれている。翡翠ちゃんかわいい。また、相棒の小説家、香月史郎は、翡翠より少し年上の落ち着いた男性で、翡翠が当てた犯人から動機や証拠を探し出す役割を担い、精神的にも物語的にも頼りになる存在だった。
ラストはすごい、キャッチコピーにあるように「すべてが伏線」だった。陳腐化してるこの言葉だが、そのフレーズが読者への挑戦状めいている。