空のペットボトル

読んだ本やアニメの感想。

ラブライブ!サンシャイン!!の話。

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ラブライブ!サンシャイン!! を観ました。2期が終わってから何度も観ています。ここまで強く惹かれた物語はそうないのでこの作品について語りたいなと思いました。

書きたいことが多すぎてまとまんねえということで色々トピックを分けました。物語全体についてや作中で扱われたモチーフについてなんかを書いています。ネタバレガッツリふくんでいるので是非観てから読んで欲しいです。もちろんこれを読んで興味を持って本編を観てくれる人がいても嬉しいです。

 

 

 ハマった経緯について

元々無印のラブライブ!についてはハマっている友人が多く自分も観てみるか、という感覚で入りました。しかし、楽しく観てたものの映画は上映期間に行くこともなく、そこまでのめり込むことはありませんでした。

そしてサンシャイン!!の放送が始まりました。とりあえず無印を観てたしこっちも観るかとダラダラ観ていたわけですが、3話からのめり込むことになっていきます。

3話の内容は無印と同様ファーストライブを開催するも、観客はとても少ない、だけど精一杯歌おう、というもの。最初の展開は似通ったものでしたが、サンシャイン!!では停電に伴いステージが中断され、挫けそうになった千歌たちの元に多くの観客が駆け付け、ライブは大成功に終わる、という無印とは大きく異なるものでした。ここで、無印と対比させつつ、μ’sとは違う彼女たちだけの物語が始まるのだな、と感じさせられ、関心を強く持つようになりました。

 

Aqoursの在り方について

Aqoursというチームは話を進める度にその在り方が変わっていったと感じます。最初は高海千歌がμ'sのように輝きたいという思いから始まったものが、東京のイベントでの惨敗を経て0を1にするため、μ'sの偉業の本当の意味を知り何もないところを全力で走る、2期1話では「奇跡を」という言葉を掲げ、廃校が決定し学校のみんなの思いを受け「ラブライブ優勝」を目指し、12話でそれぞれのメンバーが何のために歌うかを明確にし、それをひっくるめて優勝したい、「0から1へ、1からその先へ」という在り方へ。そして最終話、ラブライブに優勝し、廃校になった最後の最後で、Aqoursの目指した輝きは最初から、歩いてきたこと全てが輝きであったと気付きます。そんな在り方は絶えず変化し続け同じ形に止まることのない水のようであり、まさに「Aqours」の名が相応しいものでした。

 

空について

タイトルにサンシャインとあるように空の画が印象的でした。朝、陽が昇る画、雨が降る空、雨が止み虹がかかる画、太陽をモチーフにするとそれに付随して空についても描かれるのがとても良いなと感じます。また、太陽だけでなく夜の星空についての話もありました。

太陽の輝き、それはμ'sの光でもあります。だからこそ2期10話で雨が流れ落ちるまで待ち、星を見ることができたAqoursはμ'sとは違う自分たちだけの輝きを見つけられることを暗示していたのではないでしょうか。またそのシーンで千歌の「この雨だって全部流れ落ちたら必ず星が見えるよ。だから晴れるまでもっと、もっと遊ぼう」というセリフは無印2期で高坂穂乃果が「雨、止めー!」と叫び本当に空が晴れた描写と対照的であり、それもまたμ'sたちとは異なるAqoursらしさを感じる好きなセリフです。

 

 

紙飛行機について

2期1話は太陽に向かって飛ぶ紙飛行機を追いかける千歌のシーンから始まります。この紙飛行機は最終話で高海千歌が幼い頃諦めたものの一つとして挙げられます。ラブライブ優勝を成し遂げ、閉校式も終えた千歌は飛んでは落ちていく紙飛行機を見つめながら自分たちの輝きはあそこにあったんだよねと母や姉、そして自分自身に問いかけます。そこに姉の美渡と志摩は「相変わらずバカチカだね」「何度だって飛ばせばいいのよ」と、母は「本気でぶつかった気持ちの先に答えはあったはずだよ」と千歌に言います。そして再び飛ばした紙飛行機は高く飛び、千歌をもう閉まってしまった浦の星女学院へ導きます。今まで過ごしてきた日々を思い出し一人涙を流す、そんな中聴こえてきた気配を追うとそこには学校のみんなやAqoursのメンバーが待っていて、最後にここで歌おうと千歌に手を差し出します。そこで千歌は自分たちの歩いてきた一歩一歩が輝きだったんだと、だからこそこれからも進んでいくんだと歌い物語は幕を閉じます。

このことから紙飛行機とは進んできた軌跡、引いては高海千歌自身だったのではないかと。紙飛行機はなんのために飛ぶのか、それはただ飛ぶために飛ぶ、飛ぶことそのものが楽しい。千歌の始まりは輝きたいという願いでした。そしてそんな願いを叶えるために本気でやってきたこと全てが探し続けた輝きだったという答えを手に入れます。紙飛行機がいつか落ちてしまうもののように、アイドルとしての活動も、学校もいつか終わってしまうものです、しかし何度だって飛ばせばいい、本気でやったこと全てが輝くものになるのだから。この、いつか終わってしまうものだけれど何度でも飛ばせばいい、というのは沈んでは昇ることをくりかえす太陽のようで、ラブライブ!サンシャイン!!というタイトルの意味がここでようやくわかったと感じました。

 

羽根について

1期12話で千歌は「μ'sのように輝くということは、μ'sを追いかけるのではなく、自分らしく走ること」という答えを得るとともに、無印2期のEDでμ'sのメンバーが手にした白い羽根を手にします。これによりμ'sの輝きの資格を手にした千歌ですが、2期7話で廃校が覆せないものとなり、自分たちが何のために歌うのか、それを見失います。白い羽根は千歌の手を離れ、メンバーたちの下を通りながら空へ漂っていきます。しかし、ラブライブに優勝し、学校の名を刻んで欲しい、それこそが廃校する学校を救うことだ、という学校の皆による声によりAqoursは再起します。そこには青い羽根が空高く舞い上がっていました。

青は水の色、Aqoursの色です。そして空の色でもあります。この白から青への変化は千歌たちAqoursの心が天高く飛躍したこと、μ'sの輝きからAqoursだけの輝きを手にしたことの象徴であると感じました。そして2期12話、ラブライブ決勝では会場を覆いつくすサイリウムの青、降り注ぐ青い羽根、その景色は疑いようもなく彼女たちの輝きで満ち溢れていました。最終話、あれだけの輝きを受けても過ぎ去ってしまったこととして「輝きはあそこにあったんだよね」と疑問を持ってしまう千歌、しかし前述の通り千歌は自分たちの輝きは最初からあったと気付きます。青い羽根はAqoursの色というだけでなく幸せの青い鳥の羽根でもあったのです。

羽根というモチーフを使うだけでも二重三重に意味が込められているというのもラブライブ!サンシャイン!!の魅力です。

 

奇跡について

千歌が梨子と出会い、「奇跡だよ!」と叫び始まった物語、2期でも「奇跡」という言葉が何度も使われます。1話ラストはメンバーそれぞれが「奇跡を!」と唱え、ラブライブの優勝、廃校の阻止を目指します。「何かを変えたいと願い、全力を出すことが奇跡に繋がる」という千歌の言葉や「色んな人が色んな思いを抱いて、その思いが見えない力になって引き寄せられて運命のように出会う、全てに意味がある、そう思えば素敵じゃない?」という梨子の言葉など奇跡や見えない力についてそれぞれの考えが語られます。そして6話でメンバーの期待、自分が成し遂げてきたことの自覚・自信を背負い、ステージで大技を成功させた千歌たちAqoursは前回突破できなかった決勝進出の奇跡を成し遂げます。また、廃校になるという起こせない奇跡についてもこの作品では描かれました。それは優勝することで学校の名をラブライブの歴史に刻むという新たな起こしたい奇跡へと形を変え、実現されることになります。そうして成し遂げられたラブライブ優勝時のシーンは、無印の時と比べるとやけにあっさりとした描写でした。もう何度も書いているのですが、千歌は優勝したことで輝きを手に入れたかに懐疑的です。しかし、千歌は進んだことそのもの、即ち「軌跡」こそが輝きだと気付きます。

「奇跡」を何度も強調してきた物語が「軌跡」の物語であったと最終話で思い知らされ、脱帽しました。

 

終わりについて

Aqoursの物語は儚さを感じます。グループ名の決定のときもEDで映されるAqoursの文字も砂浜に書かれたものであり、いつか流されて消えるものです。2期11話のEDでついにその文字は波に流され、閉校祭の終わりとともにキャンプファイヤーの火も消えます。学校の閉校、三年生それぞれが別の道を歩む進路、そうした終わりに対して向き合ってきたグループだからこそラブライブ決勝で歌ったWATER BLUE NEW WORLDの「今は今で昨日と違うよ 明日への途中じゃなくて今は今だね この瞬間の時が重なっては消えてく 心に刻むんだ」という歌詞が重みをもちます。

最終話では教室の扉や、図書室の本が入った段ボール、校門など「閉じる」動作が繰り返されます。そして太陽が沈みAパートが終わります。いくつもの終わりを感じさせてきた物語ですが、最終話でもここまで終わりを感じさせるのかと。

しかし紙飛行機は何度だって飛ばせばいい、太陽は沈んでもまた昇る。千歌は再び門を開きます。

本気でやってきたこと全ては輝きになると知った彼女たちは「新しい夢が聞こえる いつかまた始まるんだよ」と歌い、幕が閉じる映像とともに物語も終わりを迎えました。

そして幕引きの後、しばらく放心していたら劇場版制作決定のCMが。

 

 

 

おおよそ文章と言えない煩雑なツイート群のようなものとはいえ、文字に書き起こしているうちに、この完璧な形で閉じられてしまった物語と劇場版の制作に対して整理のついていなかったことが色々とスッキリしました。

幕が閉じてもまた開けばいいんです、本気の彼女たちの物語はきっとまた輝くものになっているはず。そう思えば素敵じゃない?