空のペットボトル

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ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbowを観た話。

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劇場版ラブライブ!サンシャイン!!を観てきました。

lovelive-sunshinemovie.jp

テレビアニメ2期が終わり劇場版の制作が決定してからずっと待ち望んでいた作品でした。アニメ版についてあれこれ語った記事もあるので読んでください。

ochamon.hatenablog.com

アニメ2クール分でAqours/高海千歌は一つの答えを得たわけだけれど、この先は何をやるんだろう?

予告で千歌は「今までやってきたことは全部残っている、何一つ消えたりしない」と言っていたけれど今回の映画で辿り着く答えなのかな?それ予告で言って大丈夫かな?

予告の曜の隣にいた帽子は誰?

劇場版でもようちかが見たいな。

など様々な疑問や期待を膨らませつつ劇場へ向かいました。

結果、期待を多く上回るものを観ることができました。その感想を書いていきたいと思います。

今回は物語について書きました。曲についてはまた色々観返してから書きたいですね。

 

ここから先はネタバレ全開でやっていくので映画を観てからどうぞ。

特にテレビ版を2期まで観た方は絶対映画を観てください。幕が閉じられたままでいいのか。

 

ようちかりこについて

ようちかもようりこもちかりこもありました、ようちかりこありがとう(呪文か?)

予告で出ていた謎の帽子の人物は曜の従妹、渡辺月さんでした。月と一緒にいる曜を観た時、ちかりこは現実を疑うんですね。後1年生sのちかりこには見せないという判断もようちかりこ認識が感じられてとても良い。

千歌と一緒になりたくて月に誘われてた高校ではなく浦女を選ぶ渡辺曜さん、やっぱようちかは一緒に居続けようとする幼馴染なんだなあ。またこの話を聞いている時、恥ずかしがる曜の隣の高海千歌さんの表情がすごく柔らかいのがとても良かったです。普通怪獣を称していた以前の彼女ならもしかしたら引け目を感じていたかもしれないことを考えると、二人が一緒にいれて、一緒にいようとしてよかったねと強く思います。

また月ちゃんの「Aqoursのみんなは既に曜ちゃんの一部なんだな」という言葉も、自身をみんなに入れられていなかった1期11話以前の曜を考えると沁みるセリフだなと。

 

ちかりこの二人のやりとりは相変わらず風景がエモい。

「梨子ちゃんっぽくない」「誰かさんに染められちゃったのかも」「え?誰?」「(鼻を引っ張りながら)今の千歌ちゃんっぽいね」のやりとり、少女漫画か?

歌詞作りで梨子が「そんなAqoursのリーダーをやれるなんて羨ましい」と言った時に「いいでしょ」と返せるようになっているところに高海千歌さんの成長(特に自己評価)が感じられる、”一応”リーダーじゃあなくてもう立派なリーダーなんだなと。

(※1/15追記 終盤、浦の星に戻ってきたとき、少し開いていた門を閉じて「帰ろう」と言った千歌に、学校に入りどうして「思い出しちゃうの」と一人泣いていたテレビシリーズからの成長を感じました。そしてその成長の証が三つ葉から四葉に変わったヘアピンなのでしょう。)

 

 

鞠莉の羽根と花びらについて

羽根が使われていたシーンはイタリアで鞠莉たちが逃避行をしていたところです。ダイヤが「もうお嬢様ではありませんけど」というセリフとともに、川を流れる3枚の青い羽根のカットが映されました。青い羽根はμ'sでも他の何でもないAqours自身を表していることから、もう鞠莉が母の言いなりにならない存在、幼馴染と3人一緒でいる現在の鞠莉であるということを表しているのかなと。

そして広場でのライブを行った後、鞠莉は母に「ママが私を育ててくれたように、Aqoursも私を育ててくれた。スクールアイドルも消せない私の一部である」と告げ、母は納得したかのように去っていきます。そのとき鞠莉は紫色の花びらを手にします。

 この花びらがもつ役割は、今まで描かれた羽根と同じと感じました。浦女を卒業し、果南やダイヤとも一緒にいれなくなったなった鞠莉だけれども、それは幼い頃の母の言うことを聞く大人しい子どもに戻るということではなく、今までの経験全てが胸に刻まれた鞠莉というただ一人の人間であるという証が、この紫の花びらなんだと。

 

Saint Snowについて

めちゃくちゃ出番ありましたね。ボロボロに泣かされましたね。

2期9話10話でラブライブ!サンシャイン!!は9人ではなく11人の物語である、という言説が見られるようになりましたが今回の劇場版で更にそう思えるようになりましたね。

ラブライブは遊びじゃない」、1期8話で使われた言葉が劇場版でも2度使われましたね。テレビ版と今回の理亞が放ったこの言葉は、彼女のラブライブ、スクールアイドルにかける切実さが感じられました。ルビィはその言葉を、ラブライブ決勝延長戦の場で発します。二組だけの、しかも観客もいないライブ、お遊びにも見える名目のライブにおいて、ルビィは理亞の真剣さを象徴する言葉によって、これから行う戦いも同様に真剣であることを伝えます。

AqoursSaint Snowだけのラブライブ決勝延長戦、ものすごく少年漫画の文脈を感じてとても熱くなりましたし、「理亞ちゃんの叶えたくても叶えられなかった願いを叶えよう」というルビィ・千歌のセリフは無印のテーマであった「みんなで叶える物語」という言葉を思い出してすごく胸にくるものがありました。

Saint Snowのライブ「Believe again」も映像、曲、衣装と全てがカッコよくてこれがSaint Snowの実力……と打ち震えました。曲の始めではAqoursが2期12話で歌った「WATER BLUE NEW WORLD」の歌い出しのように、まるで雲の上にいるかのような靄がかった幻想的な風景から始まり、ラブライブ決勝延長戦という名目に相応しいものに感じました。歌詞もSaint Snow版WBNWといった具合で彼女たちの辿り着いた答えが綴られていて最高のSaint Snowを観ることができました。

歌いきった後、聖良は理亞に「追いかけなくていいんだよ」と決勝に進めなかったが故に伝えられなかった言葉を告げます。そして二人の下から1枚の羽根が舞い上がります。その色はμ'sの白でもAqoursの青でもない、Saint Snowだけの色でした。(※1/15追記 1/13に行われた舞台挨拶での監督のコメントによるとあの色は理亞の色だということでした。ライブの時の色と異なるのはSaint Snowの鹿角理亞としてではなく新たにスクールアイドルとして歩み始める理亞への祝福の羽根なのでしょう)

1期12話でも2期8話でも使われ、泣かされてきたこの演出が、まさか劇場版でSaint Snowによって使われるとは思いもせず、ぐしゃぐしゃにされてしまいました。何度やられてもこの演出はズルい。

 

 

 紙飛行機について

羽根に引き続き、お馴染みの紙飛行機、全力で取り組むことの象徴は劇場版でも何度も登場しました。

紙飛行機が描かれたシーンは冒頭、二組だけのラブライブ決勝延長戦で「Brightest Melody」を歌った直後、最後のライブの前日、クレジットが流れ終わった最後のシーンの4つ(記憶が定かでないのでもし違っていたら訂正します)。

 

冒頭では幼い千歌と曜が紙飛行機を飛ばし、そこで帽子を被った幼い梨子と出会う場面でした。

このシーンで前売り券の特典曲であるようちかりこ3人による「Marine Border Parasol」での千歌のセリフ「二人(ようりこ)と出会えたことが奇跡だよ!」を思い出して一瞬で感情が巨大になりました。また、「出会いが奇跡」という考え方は2期5話の終盤の梨子のいう「見えない力」の話とも繋がるのでエモさが増しますね。

この三人は幼少期に出会っていた、その出会いは偶然、だけれど三人が色んな想いを持って再び出会ったことはきっと意味がある、出会いこそが奇跡なんだなあ。

 

延長戦後で千歌は「今までやってきたことは全て残っている、ゼロにはならない」という新しいAqoursをスタートさせることに対する答えを得ます。それに呼応するかのように紙飛行機は太陽に向かって飛んでいきます。

これは飛ばすわけではなく既に飛んでいるということが、ゼロではないことの表れになっているのかな?その後紙飛行機を飛ばす描写があるので単に走り続けていることの描写かもしれません。

 

最後のライブの前日、回想(幻想?)シーンで幼い千歌が他の幼少期メンバーに見守られながら紙飛行機を飛ばすシーン。ここの千歌たちが幼いのはそれぞれがゼロからのスタートであることを示しているのかなと。そして出会っていないはずの全員が揃っているのはこれから向かう道はゼロからのスタートだとしても今まで走ってきた記憶が刻まれているから、ゼロだけどゼロではないということだと感じました。

この「ゼロだけどゼロではない」や1期12話の「μ'sを追いかけないことでμ'sの白い羽根を受け取る」などややこしいというか捻りを入れてるところがサンシャインっぽくて好き。

最後のシーンの紙飛行機については別箇所で次の項目内で述べようと思います。

 

伝えることについて

テレビ版でAqours高海千歌は答えを手に入れた、じゃあその次はそれを伝えていこう。これが今作のテーマでしたね。

予告にあった「今までやってきたことは全部残っている、何一つ消えたりしない」、これはテレビ版で得た「今までの走ってきた足跡全てが輝きだった」「何度だって飛ばせばいい」の延長線にある千歌の答えです。

それを鞠莉の母へ、統合先の生徒や父母へ、Saint Snowへ、未来のスクールアイドルへ伝えていく物語でした。

特にエンドロールが終わった最後の最後のシーン、Aqoursの輝きが見知らぬ未来のスクールアイドルへ繋がったことにグッときました。

波打つ砂浜、砂に刻まれたAqoursの文字、そして落ちてきた紙飛行機。紙飛行機に使われていた紙はAqoursに初めて突きつけられた「0」、東京でのイベントの結果用紙でした。2期12話で「ありがとう、バイバイ」「もう大丈夫」と千歌たちが手放し、どこか遠くへと飛んでいった紙が、Aqoursのライブを観て、「私も輝きたい」と願う誰かの下へ届いたのです。

μ'sに憧れて「輝きたい」と願った高海千歌が、他の誰かの「輝きたい」という願いに火を灯す。まさに千歌の願いの辿り着くべき究極の形です。それをいつか飛ばした用紙で表現する事、この作品に出会えて本当によかったと感じました。

 

 

 雨について

Over the Rainbowと言う名の通りにするなら、サンシャインはタイトルにある以上、作中雨が降る重めのストーリーになるのかな、と思っていたのですが、全然そんなことはなかったですね。というより雨がマイナスイメージをもって使われることがなくてビックリしました、むしろ雨粒がキラキラ輝いていました。

テレビ版でのラブライブ!サンシャイン!!は抗いの物語でした。普通さから、田舎から、輝けない自分たちから、廃校から。「この雨だって全部流れ落ちたら必ず星が見える」と、あらゆるものに抗い、あがき続けた彼女たちは、今までの全てが輝きであるという答えにたどり着きます。

現実は厳しい、一番叶えたい願いは叶えられず、またゼロに戻ったように感じる。だけどその過程で手に入れた色々なものが宝物になっていって、ゼロはゼロではなくなる。

抗い続けた彼女たちは知っています、雨の先には虹がかかることを。だからこそ雨すらも輝いて見えるのです。

 

砂浜に刻まれた文字について(※1/15追記)

ずっと砂浜に描かれたAqoursの文字についてマイナスのイメージを抱いていたのですが、劇場版について考えているうちに解消されたので述べていこうと思います。

 

 Aqoursラブライブで優勝することでAqoursを、浦の星女学院の名前をラブライブの歴史に刻みました。しかし、テレビシリーズでのアイキャッチや2期11話では砂浜に刻んだAqoursの文字は波にさらわれます。私はこれが、Aqoursの名前がラブライブの歴史に名前を残したとしても、それは数ある優勝グループの中の一つとして人々の記憶から忘れ去られてしまうことを表しているかのように思えて、Aqoursの痕跡は完全に消え去ってしまうのではないかと、寂しく感じていました。

しかし、そんな怨念のような感情は劇場版によって救われました。

ラストで書かれたあの文字は、Aqoursの誰かが書いた文字ではなく、Aqoursのライブに感銘を受けた名前も顔もわからない少女によって刻まれた文字でした。Aqoursが刻んだ文字は消えてしまっても、誰かの心にAqoursの熱は残り、再び文字は刻まれる。ゼロはゼロではない。

そしてその傍らには千歌が決別した0の象徴である東京のイベントの投票結果用紙で折られた紙飛行機がありました。

劇場版でμ'sについて語られることはありませんでした。しかしμ'sの白い羽根が色を変え、形を変えて何度もその存在を感じさせたように、Aqoursの存在も、誰かに灯し、そしてそのまた誰かに灯していった熱として残る、見えなくなっても決して消えないものだと今では信じられます。